ぽりたんたんblog

30代フリーランスの何気ない日常とエッセイ。

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だから僕は写真教室で習うのを辞めた

今年の1月から写真を習い始めたんだけど、2か月受講して辞めちゃった(・ω≦) テヘペロ
今回の記事では「なんで写真教室で習おうと思って、なんで辞めたのか」その辺の心情を深堀って書いてみよう。

 

なんで写真教室で習おうと思ったのか

僕は毎年なにか一つ新しいことにチャレンジするようにしてるんだ。そのチャレンジがいい結果を生んだなら来年以降も続けるし、そうでなかったとしても、それはそれで悩みが一つ解決するわけだから、どっちに転んでもいいことしかないでしょ!みたいな考えから始めた試み。

今年はそれが「写真教室に通うこと」だったんだよね。前々から「写真教室に通った方が写真上手くなるのかな~?」みたいな悩みがあったってわけだ。つまり、写真教室に通うことで今より写真が上手くなるのかを検証するための試みと言ってもいいかもしれない。

 

僕が写真教室に求めていたもの

ところで「上手な写真」って何だろうか。僕は「多くの人が上手いと感じる写真」「多くの人が見ていて心地いいと感じる写真」「多くの人の心を揺さぶる写真」なんかが上手な写真だと考えている。ファッションで例えるなら、多くの人がオシャレだと感じる服装みたいな感じかな。

そういった写真を撮ることって、考え方としては「デザイン」に近いと思ってる。自分中心ではなく、見る側に与える影響を意識したものだから。

アマゾンとかで検索すればデザインに関する本が山のようにヒットするし、デザインを教える専門学校もたくさんあることから、デザイン思考で写真を撮ることって基本的に人に教えられるものなのかなーって気がしてる。構図なんかはまさにそうだよね。

一方、写真には「アート(芸術)」としての側面もあると思っていて、僕は全然詳しくないんだけど、何となくアートって人に教えられないものっていうイメージを持っている。

なんというか「自身の美意識(感性)や価値観の追求」のような、個人が持つ感覚的なものを追求してる感じがするんだよね、アートって。そんなの人に教えられないでしょって思うんだけど、美大とかってどうしてるんだろ。

 

なんで写真教室で習うのを辞めたのか

写真教室の話に戻ろう。僕が習っていた写真教室はSNSに自分が撮った写真をアップして、先生に講評してもらうっていうスタイルだった。

「もっと視点を上にした方がいい」「人が通っていた方がいい」「この写真はよく撮れている」などアドバイスはあるものの「なぜそうした方がいいのか」「なぜそれがいい写真なのか」といった説明がない、もしくは感覚的すぎてよく分からなかったんだよね。

先生の中にあるアートを教えてもらってるような感覚。結局「これじゃない感」をすごい感じたので辞めることにした。写真教室ってどこもこんな感じなんだろうか?

探せば自分に合う写真教室もありそうだが・・・とはいえ今は、Instagramとか写真雑誌で上手な写真をたくさん見て、模倣しながら学ぶ方向に舵を切ることにした。そんな感じ。

ばいちむ