※本記事は抽象的にぼかして書いてますが、映画のネタバレを含みます
今週のお題「うるおい」
寒さとともにやってくるのが乾燥です。体も心も乾いてしまわないように、うるおいを補充する必要がある季節ですね。今週は「うるおい」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「毎年買っているリップクリームを用意した」「加湿器の掃除にはコレが便利」「この映画を見て心がうるおいました」など、あなたの「うるおい」にまつわることを、はてなブログに書いて投稿してください!
先日やっと「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ(通称:ジョーカー2)」を観てきた。
ネット記事によるとアメリカでは、
- レディー・ガガの無駄遣い
- フランチャイズ経済の破壊
- 真のジョーカーはフィリップス監督
などと酷評のようだ。
僕の感想はというと、控えめに言って最高だった。
もう一回観たいとは思わないけど。
そんな感じ。
何よりあのオチと観終わったあとの余韻がエグい。
「山崎豊子作品」や「閃光のハサウェイ」を読み終えた後のような後味の悪さがある。
ちなみに僕はこの映画を観終わったすぐあとに街コンで知り合った女の子と初回アポだった。
就活で第一志望の企業からのお祈りメールを確認してすぐにデートに行くような気分である。
そして冒頭のアニメーション。
映画を観終わったあとに思い返すと、
ああ、ジョーカーってそういうことね
ってなる。
前作のテーマが
”ジョーカー誕生の過程”
だとすると、今作のテーマは
”ジョーカーとは何者か”
そんなとこだろうか。
影とは実体を持たない抽象的なもの
継承されてはじめて実体を持つことができる
不評だった理由は多くの人が「影じゃない方」のジョーカーに同情し、応援してたからってのが一つあると思う(あと、ラストのカタルシスを期待してた)。
そもそも前作を観た時点では「ジョーカー=アーサー」であることを誰も疑ってなかったし、今作でも最後のオチを見るまで僕はそう思ってた。
そんな僕ら観客の想像を超えてくるところに、物語としての深みを感じるし、一方でそこが不評だった理由の一つでもある。
トッド・フィリップス監督(兼脚本家)とは、きっと芸術家タイプの人なんだろう。
どことなくデスノートっぽさがある本作。
観終わった後に心のうるおいが欲しくなる、そんな作品でした。
ばいちむ